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<title>静岡 城下町 オタク ウォッチ</title>
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<description>静岡 城下町 ってもう体験されましたか？わたしは静岡 城下町に住むようになって30年以上になります。そこでいまさらしずおかの町並みを探索してみたいと思います。</description>
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<title>静岡 城下町 オタク ウォッチ</title>
<description>静岡 城下町 ってもう体験されましたか？静岡 城下町といえば静岡市特に静岡駅より北側のことですが、３０年以上も静岡の街に住んでるにも関わらず何も知らない自分が恥ずかしく思います。そこでいまさらしずおかの町並みを探索してみたいと思います。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>3011-07-04T11:40:55+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<table border="0" align="left"><br /><tr><td><br /><img src="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/IMGA0220.JPG" width="107" height="80" border="0" align="right" alt="IMGA0220.JPG" /><br /></td></tr><br /></table><strong>静岡 城下町</strong> ってもう体験されましたか？<br /><br /><em>静岡 城下町</em>といえば静岡市特に静岡駅より北側のことですが、３０年以上も静岡の街に住んでるにも関わらず何も知らない自分が恥ずかしく思います。そこでいまさらしずおかの町並みを探索してみたいと思います。<br /><br /><a name="more"></a>静岡が駿府と呼ばれていた時代から今川義元や徳川家康が登場して、常に歴史の表舞台に登場するぐらい、重要な地域である静岡駿府の城下町・国宝の久能山東照宮、そして今はプラモデルやラジコンなど趣味の聖地として知られまた、「静岡おでん」「静岡ラーメン」など独特な発展をし続ける静岡駿府のまち。<br /><br />と言いつつ、わたしも最近気がついたばかりなんですが・・・。<br />わたしと静岡 城下町へ飛び出しましょう。<br /><br />静岡 城下町まだご存知でないなんて勿体無いですよ！<br />ご存知でない方は、是非一度チェックしてみてください。

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<title>家康、秀忠と関わりの深い、お愛の方が眠っています</title>
<description>二代将軍の徳川秀忠の生母、西郷の局（お愛の方）が葬られた宝台院の中心に寺町がおかれ、1509年（永正6年）祐崇によって開かれた寺で、各宗、各派の寺院が集まっていました。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-11-12T11:21:17+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/E3818AE6849BE381AEE696B9.jpg" width="80" height="75" border="0" align="right" alt="お愛の方" />二代将軍の<strong>徳川秀忠</strong>の生母、西郷の局（お愛の方）が葬られた宝台院の中心に寺町がおかれ、1509年（永正6年）祐崇によって開かれた寺で、各宗、各派の寺院が集まっていました。<a name="more"></a><br /><br />西郷の局は、家康が浜松城で武田軍との戦いに明け暮れていた約20年の間、浜松城の台所を預かっていた家康の側室でした。<br /><br /><br />この宝台院の近くに1970年代まで宝台橋という道路があってよく利用しました。東海道本線が高架になるまえの静岡市はＪＲの鉄道で、南北に二分され北側は”町”（現、葵区）、南側は”駅南”（現、駿河区）と呼ばれ、「町に行ってくる」なんて言って駅前の松坂屋や西武などの繁華街に行っていました。1970代は二分された静岡をつなげる大動脈のひとつが宝台橋だったのです。<br />

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<title>静岡県の歴史はどうですか</title>
<description>まずは旧石器時代には1960年～62年、静岡県西部の浜松市浜北区根堅で、約1万4000年前に生息していたの浜北人の人骨が発見されています。縄文時代の遺跡総数は約2000カ所を超えていますが縄文草創期の遺跡は少ないようです。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-10-28T10:53:50+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/CA3J0036.JPG" target="_blank"><img src="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/CA3J0036-thumbnail2.JPG" width="80" height="60" border="0" align="right" alt="登呂博物館" /></a>まずは<strong>旧石器時代</strong>には1960年～62年、静岡県西部の浜松市浜北区根堅で、約1万4000年前に生息していたの浜北人の人骨が発見されています。<br /><br /><br />縄文時代の遺跡総数は約2000カ所を超えていますが縄文草創期の遺跡は少ないようです。<a name="more"></a>縄文後期後半になると遺跡数が、東部では激減しているのに対して中・西部では遺跡数が余り減っていません。<br /><br /><br />1958年～60年、静岡県西部の三ヶ日町で、約7500～9500年前に三ヶ日人の住んでいた遺跡が発見されています。また、約4000～6000年前のものとされる全国的に見ても大規模な集落跡の千居遺跡が静岡県東部の富士宮市で確認されています。<br /><br /><br /><strong>弥生時代</strong>には、静岡市駿河区登呂で、弥生時代の水田、住居跡などが発見されていて博物館などが併設されています。<br /><br /><br /><a href="http://only-jidousha.sblo.jp/" target="_blank">オンリーワン自動車保険 自分流</a>

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<title>清水区巴川界隈</title>
<description>今日は静岡の歴史的な記事はやめにして、この清水区巴川界隈についてお話します。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-10-16T13:10:13+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/CA3J0075.JPG" target="_blank"><img src="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/CA3J0075-thumbnail2.JPG" width="150" height="100" border="0" align="right" alt="清水区巴川界隈" /></a>今日は静岡の歴史的な記事はやめにして、この清水区巴川界隈についてお話します。<a name="more"></a><br /><br />巴川は静岡県静岡市葵区北の麻機地区に源を発し、清水区市街地を貫流して清水港に注いでいます。清水の人に聞くと戦前戦後の時期には、この辺に赤線（遊郭）が立ち並びよく遊びに行ったと言っていました。<br /><br /><br />いまではすっかり寂れてしまって、夜あそびにいっても呑み屋があるのは千歳橋のあるあたりだけですが、ちょっと「横丁」にはいってみると赤線（遊郭）だったころの名残があるようなお店があったりします。<br /><br /><a href="http://home-improvement.sblo.jp/" target="_blank">手作り好き日曜大工 deパパの趣味</a>

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<title>豊臣家を滅亡に追い込んだ方広寺事件</title>
<description>ここは片桐且元の墓なのですが、この墓がある場所は、誓願寺といいます。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-10-01T10:39:30+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/E78987E6A190E4B894E58583.jpg" width="150" height="100" border="0" align="right" alt="片桐且元" />ここは<strong>片桐且元</strong>の墓なのですが、この墓がある場所は、<strong>誓願寺</strong>といいます。<br /><a name="more"></a>山号は大鈩山、建久年間（1190～1199年）に源頼朝の両親追善のため建立されました。ここに行くのは車がいちばんですが、バスもあります。近くに「丁子屋」という「とろろ」を食べさせてくれる。古い店がありますが、私はとなりの「一松園」の方がすきです。「とろろの天ぷら」が美味です。<br /><br />ところで誓願寺は、天文年間（1532～1555）の丸子城の戦火で類焼しています。しかし、永禄11（1568）年駿府へ進出した武田信玄がこれを惜しんで再建しています。<br /><br /><br />誓願寺はまた、「方広寺事件」で釈明に家康のもとへ表われた片桐且元の墓があります。大坂冬の陣をおこしたいきさつの舞台となった<br /><br /><br />「方広寺事件」とは慶長19（1614）年、大坂冬の陣が勃発するきっかけになった、京都方広寺の鐘に刻まれた「国家安康」の文字のことです。<br /><br /><br />「方広寺事件」で釈明に家康のもとへ表われた片桐且元の宿舎がこの誓願寺ですが、この事件の登場人物が駿河路に眠るというのも、不思議な因縁ですね。

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<title>今は無き駿府城天守閣から家康はなにを眺めていたのだろうか</title>
<description>駿府城は、徳川家康が天正十七年に築いたもので、その後大御所として再びこの城に戻った際、慶長十三年に五層七重の天守閣を上棟しました。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-09-11T11:44:19+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/E9A7BFE5BA9CE59F8EE981BAE6A78B.jpg" width="132" height="91" border="0" align="right" alt="駿府城遺構" /><strong>駿府城</strong>は、<strong>徳川家康</strong>が天正十七年に築いたもので、その後大御所として再びこの城に戻った際、慶長十三年に五層七重の天守閣を上棟しました。<a name="more"></a>工事も自ら指揮を取るほどの熱の入れようだったようです。人質とはいえ、少年時代を過ごした穏やかな駿府を、家康は人生の有終の美を飾る場所に選んだのです。<br /><br /><br />大御所時代の駿府は、江戸と並ぶ政治文化の中心地として栄えました。しかし家康の死後、寛永十二年に焼失し、その後再建されましたが<a href="http://national-treasure.sblo.jp/" target="_blank">天守閣</a>は再建されませんでした。<br /><br /><br />明治四年には城郭がすべて解体され石垣と堀をのこすのみとなりました。現在は駿府公園として残っています。平成元年には「巽櫓」平成八年には「東御門」が再建され、駿府城二の丸の景観が再現されました。<br /><br /><br />公園内の本丸跡には家康公の銅像、家康公お手植えのみかんの木が残されています。

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<title>大老井伊直弼の祖先が焼津にいました</title>
<description>幕末史に名を残す大老井伊直弼の祖先、井伊直孝の生家とされる場所に井戸が残されています。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-09-08T10:51:23+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/E4BA95E4BC8AE79BB4E5AD9DE794A3E6B9AF20E381AEE4BA95.jpg" width="106" height="72" border="0" align="left" alt="井伊直孝産湯 の井.jpg" />幕末史に名を残す大老<strong>井伊直弼</strong>の祖先、<strong>井伊直孝</strong>の生家とされる場所に井戸が残されています。<br /><br /><br /><a name="more"></a>井伊直孝の父である井伊直政は家康に信頼され、徳川十六武将の一人と言われていました。江戸幕府で大老になれたのは、酒井、土井、井伊、堀田など限られた家だけでした。<br /><br /><br />井伊直孝は天正１８年（１５９０）に、父で後に初代藩主となる井伊直政の二男として焼津市中里で生まれました。母親の印具（いんぐ）は、井伊直政の正室の侍女であったため屋敷を出て、中里で井伊直孝を産んだとされています。<br /><br /><br /><br />焼津に残る産湯の井戸は、直孝が産まれてすぐの産湯の水に使われたといわれています。現在は民家の敷地内ににあって、井戸のそばに「井伊掃部頭直孝朝臣産湯之井」と刻まれた石碑が建っています。

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<title>家康も崇めた、勝利の宿る石</title>
<description>天正１０年(1582)年頃、徳川家康は武田軍がいた花沢城や田中城を攻撃しました。その時焼津市石脇にある原川家を本陣とし、門前の大きな石に勝利の願掛けをしたそうです。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-08-30T11:50:53+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/E69797E68E9BE79FB3.jpg" target="_blank"><img src="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/E69797E68E9BE79FB3-thumbnail2.jpg" width="80" height="60" border="0" align="left" alt="旗掛石.jpg" /></a>天正１０年(1582)年頃、<strong>徳川家康</strong>は武田軍がいた花沢城や田中城を攻撃しました。その時焼津市石脇にある原川家を本陣とし、門前の大きな石に勝利の願掛けをしたそうです。<br /><br /><br /><a name="more"></a>やがて大御所となり駿府に戻った家康は、しばしば原川家を訪れその石に旗を立てて力を誇示しました「<strong>旗掛石</strong>」。という現在は石脇の「浅間神社」の鳥居脇に、注連縄が張られた巨岩が２つ並んでいます。また「旗掛石」から、機織りの上達を祈願する信仰も生まれたといいます。<br /><br /><br />また、そもそも「石脇」という地名も、この岩に因むそうです。江戸時代の絵図によれば、「旗掛石」はもっと高い岩として描かれています。ここは高草山の登山口であり、高草山を見上げる位置にあることから、古代からの磐座だったとされています。そして「浅間神社」の社殿の背後にも大きな石が露出しています。<br /><br /><br />社殿の向きも南向きではなく、南西を向いているのは、この石を祀るためだったようです。神体山としての高草山に対する信仰や古代東海道の守り神としての聖地(<strong><a href="http://powerspot-tour.sblo.jp/" target="_blank">パワースポット</a></strong>)であったところに、「浅間神社」が建立されたといことになります。<br /><br />

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<title>バンダイホビーセンターのある駅界隈オタクウォッチ</title>
<description>バンダイホビーセンターのある長沼駅界隈はなんにもないのですが、近くにＪＲ東静岡駅があり、イベント会場によく使われる「グランシップ」が隣接されています。この周辺はパチンコ店や飲食店などがあり、最近はかなり開けてきています。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-08-21T10:51:59+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<table border="0" align="left"><br /><tr><td><br /><img src="http://vending2008-1.sakura.ne.jp/sblo_files/sunpujou/image/CA3J0011.JPG" width="106" height="80" border="0" align="right" alt="バンダイホビーセンター.JPG" /><br /></td></tr><br /></table><strong>バンダイホビーセンター</strong>のある長沼駅界隈はなんにもないのですが、近くにＪＲ東静岡駅があり、イベント会場によく使われる「グランシップ」が隣接されています。<br /><br /><br />この周辺はパチンコ店や飲食店などがあり、最近はかなり開けてきています。<br /><br /><br /><a name="more"></a>■オタクウォッチ<br />長沼駅の北側に国内唯一のガンプラ製造拠点として、『機動戦士<a href="http://bandai-model.sblo.jp/" target="_blank">ガンダム</a>』の世界観を随所に取り入れている<em>バンダイホビーセンター</em>があり予約制ですが見学できます。<br />

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<title>家康ゆかりの名剣を封じてお地蔵様が生まれた</title>
<description>家康が武田軍に苦戦していた時、焼津市北村の草庵の僧に救われたことがありました。後年家康は、この僧へのお礼に名剣をさずけ、阿弥陀仏を本尊とする阿弥陀寺を建立しました。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-08-18T10:46:58+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
家康が武田軍に苦戦していた時、焼津市北村の草庵の僧に救われたことがありました。<br /><br /><br />後年家康は、この僧へのお礼に名剣をさずけ、阿弥陀仏を本尊とする阿弥陀寺を建立しました。<br /><br /><a name="more"></a>しかし三代目住職が、「剣で人を斬るのは仏の道にあらず」と、剣を石棺に収め辻堂を建てました。<br /><br /><br />その後、地蔵菩薩を安置し、これが罪切地蔵として今に伝わっています。<br /><a href="http://maps.google.co.jp/maps?q=%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%84%BC%E6%B4%A5%E5%B8%82%E6%A0%84%E7%94%BA%EF%BC%94%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%92+%E7%BD%AA%E5%88%87%E5%9C%B0%E8%94%B5%E5%B0%8A&hl=ja&ie=UTF8&sll=34.870487,138.31989&sspn=0.013837,0.011351&vpsrc=0&brcurrent=3,0x601a45fe3bd1647f:0x60dc02b4717249e2,0&z=16" target="_blank">罪切地蔵尊map</a><br />

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<title>家康の息子信康の遺髪を納めた寺</title>
<description>家康は息子信康に自刃を迫り二俣城で自害し、天竜市の清龍寺に葬られていますが、清水区の江浄寺にも遺髪を収めたと伝えられる供養塔があります。</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-08-12T10:58:24+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
家康は息子信康に自刃を迫り二俣城で自害し、天竜市の清龍寺に葬られていますが、清水区の江浄寺にも遺髪を収めたと伝えられる供養塔があります。<br /><br /><br /><a name="more"></a>天下を取った徳川一族の歴史の影に、武田氏と織田氏の二大勢力の挟まれてわが子にも非常にならざるを得なかった家康の、父親としての哀しいエピソードをかいま見ることができます。<br /><a href="http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&cp=11&gs_id=5n&xhr=t&q=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%8C%BA%E6%B1%9F%E5%B0%BB%E6%9D%B13-6-6&newwindow=1&safe=off&gs_upl=&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&biw=909&bih=904&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=0x601a33fc105d994f:0x99ef98b3c98ad430,%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E9%9D%99%E5%B2%A1%E5%B8%82%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%8C%BA%E6%B1%9F%E5%B0%BB%E6%9D%B1%EF%BC%93%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%96%E2%88%92%EF%BC%96&gl=jp&ei=DohETuauIISkmQXEg7XJBg&sa=X&oi=geocode_result&ct=title&resnum=1&sqi=2&ved=0CBkQ8gEwAA" target="_blank">江浄寺map</a>

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<title>静鉄「柚木駅」界隈オタクウォッチ</title>
<description>新静岡駅から三つ目の駅に「柚木駅」と言うのがあります。ここの駅は近くに「東海大学短期部」なで幾つかの学校があり学生さんがたくさん乗り降りして、賑わっています。と！言いたいところですが、ホントただの乗降だけでお店は、ほとんど在りません。住宅が密集していてオシャレなお店を作る余地がないのかも知れません。そんなところですが一つがけ見所があります。それが「静岡護国神社」です。初詣の時は当然賑わうのですが、それ以外に毎月最終土曜・日曜日に骨董蚤の市が開かれ結構面白いものが手に入ります。..</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-08-09T11:51:17+09:00</dc:date>
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新静岡駅から三つ目の駅に「柚木駅」と言うのがあります。ここの駅は近くに「東海大学短期部」なで幾つかの学校があり学生さんがたくさん乗り降りして、賑わっています。<br /><br /><br />と！言いたいところですが、ホントただの乗降だけでお店は、ほとんど在りません。住宅が密集していてオシャレなお店を作る余地がないのかも知れません。そんなところですが一つがけ見所があります。それが「静岡護国神社」です。<br /><br /><br />初詣の時は当然賑わうのですが、それ以外に毎月最終土曜・日曜日に骨董蚤の市が開かれ結構面白いものが手に入ります。<br /><br /><br />■オタクウォッチ<br />この護国神社ですが本殿の東側に社務所があり。ここの二階に、第二次大戦の遺品が展示してあり、考えさせられます。ただ来場客がほとんどいないので一人で行くと怖い。 <br /><br /><table border="5"><tr><th><span style="color:#808080;"><span style="font-size:75%;">お役立ちinfomation</span></span></th><tr><td><div style="text-align:center;"><a href="http://netsupermarket.sblo.jp/" target="_blank"><span style="color:#0000FF;"><strong><ins>買い物難民のネットスーパー navi</ins></strong></span></a></div></td></tr></table><br /><a name="more"></a>

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<title>幼い家康が文筆を学んだ寺</title>
<description>歴史好きにはたまらないでしょう。天文十八年（1549）竹千代が岡崎の松平家から駿府に人質として連れて来られると、母方の祖母源応尼も駿府に入り、竹千代の世話をしました。源応尼は華陽院に住み、竹千代は華陽院の住職知短に文筆を学んだといわれています。華陽院の境内にはこの源応尼と家康の五女市姫の墓があります。華陽院mapお役立ちinfomation巣鴨のお年寄りパソコンデビュー 入門ブログ</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-08-06T11:11:15+09:00</dc:date>
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歴史好きにはたまらないでしょう。<br /><br /><br />天文十八年（1549）竹千代が岡崎の松平家から駿府に人質として連れて来られると、母方の祖母源応尼も駿府に入り、竹千代の世話をしました。<br /><br /><br />源応尼は<strong>華陽院</strong>に住み、竹千代は華陽院の住職知短に文筆を学んだといわれています。<br /><br /><br />華陽院の境内にはこの源応尼と家康の五女市姫の墓があります。<br /><a href="http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&newwindow=1&safe=off&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&biw=914&bih=887&um=1&ie=UTF-8&q=%E9%9D%99%E5%B2%A1+%E8%8F%AF%E9%99%BD%E9%99%A2&fb=1&gl=jp&hq=%E8%8F%AF%E9%99%BD%E9%99%A2&hnear=0x601bbf207a58856f:0xadc77626a8878101,%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E9%9D%99%E5%B2%A1%E5%B8%82&ei=8KE8TquyC-72mAXv06mNCA&sa=X&oi=local_result&ct=image&ved=0CAQQtgM&cid=0,0,7752081372857528020" target="_blank">華陽院map</a><br /><br /><br /><table border="5"><tr><th><span style="color:#808080;"><span style="font-size:75%;">お役立ちinfomation</span></span></th><tr><td><div style="text-align:center;"><a href="http://pc-debut.sblo.jp/" target="_blank"><span style="color:#0000FF;"><strong><ins>巣鴨のお年寄りパソコンデビュー 入門ブログ</ins></strong></span></a></div></td></tr></table><br /><a name="more"></a>

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<title>駿府城跡 オタクウォッチ</title>
<description>駿府城跡は静岡市街の中心に位置しています。徳川家康が駿府城を築城して以来ここを中心に静岡の街ができてきました。わたしが子どもだったころは、ここに「駿府児童会館」と言うのがあっていろいろ子ども体験ができて面白い場所でもあり、静岡のデートスポットでした。■オタクウォッチ駿府城跡の南側には巽櫓が再現され観覧できるのですが、実はその近くに江戸時代の駿府城の内堀あとが発見されていて観ることができます。歴史好きにはたまりません。お役立ちinfomation引きこもりのアフィリエイト 道</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-08-03T11:22:47+09:00</dc:date>
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<strong>駿府城跡</strong>は静岡市街の中心に位置しています。<br /><br /><br />徳川家康が駿府城を築城して以来ここを中心に静岡の街ができてきました。<br /><br /><br />わたしが子どもだったころは、ここに「駿府児童会館」と言うのがあっていろいろ子ども体験ができて面白い場所でもあり、静岡のデートスポットでした。<br /><br /><br />■オタクウォッチ<br />駿府城跡の南側には巽櫓が再現され観覧できるのですが、実はその近くに江戸時代の駿府城の内堀あとが発見されていて観ることができます。歴史好きにはたまりません。<br /><br /><br /><table border="5"><tr><th><span style="color:#808080;"><span style="font-size:75%;">お役立ちinfomation</span></span></th><tr><td><div style="text-align:center;"><a href="http://hikikomori-a.sblo.jp/" target="_blank"><span style="color:#0000FF;"><strong><ins>引きこもりのアフィリエイト 道</ins></strong></span></a></div></td></tr></table><a name="more"></a>

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<title>雪斎ゆかりの寺臨済寺</title>
<description>臨済寺二代目の住職は今川義元の軍師でもあった大原雪斎。彼は人質として駿府に送られてきた竹千代（徳川家康）の教育を任されています。今川、徳川、両時代の要となる人物と関わりの深い寺として、家康公が使った手習い道具など、貴重な品物が残されています。お役立ちinfomation長期保存食 取寄せ ずぼら生活</description>
<dc:subject>静岡 城下町 オタク ウォッチ</dc:subject>
<dc:creator>駿府人</dc:creator>
<dc:date>2011-07-31T12:44:08+09:00</dc:date>
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<strong>臨済寺</strong>二代目の住職は今川義元の軍師でもあった大原雪斎。<br /><br /><br />彼は人質として駿府に送られてきた竹千代（徳川家康）の教育を任されています。<br /><br /><br />今川、徳川、両時代の要となる人物と関わりの深い寺として、家康公が使った手習い道具など、貴重な品物が残されています。<br /><br /><table border="5"><tr><th><span style="color:#808080;"><span style="font-size:75%;">お役立ちinfomation</span></span></th><tr><td><div style="text-align:center;"><a href="http://long-term-food.sblo.jp/" target="_blank"><span style="color:#0000FF;"><strong><ins>長期保存食 取寄せ ずぼら生活</ins></strong></span></a></div></td></tr></table><a name="more"></a>

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