二代将軍の徳川秀忠の生母、西郷の局(お愛の方)が葬られた宝台院の中心に寺町がおかれ、1509年(永正6年)祐崇によって開かれた寺で、各宗、各派の寺院が集まっていました。西郷の局は、家康が浜松城で武田軍との戦いに明け暮れていた約20年の間、浜松城の台所を預かっていた家康の側室でした。
この宝台院の近くに1970年代まで宝台橋という道路があってよく利用しました。東海道本線が高架になるまえの静岡市はJRの鉄道で、南北に二分され北側は”町”(現、葵区)、南側は”駅南”(現、駿河区)と呼ばれ、「町に行ってくる」なんて言って駅前の松坂屋や西武などの繁華街に行っていました。1970代は二分された静岡をつなげる大動脈のひとつが宝台橋だったのです。
スポンサードリンク

